菊池哲佳
平成10年(1998年)ドイツ語学科卒業
大学時代の挫折
高校時代は柔道ばかりやっていて、将来のことを 深く考えることができていませんでした。ただ、海外へのあこがれを漠然と抱いていて、東外大で自分の世界を広げたいと思いました。ドイツ語を選んだのは、英語以外の外国語にも挑戦したかったことと、ヨーロッパへの関心があったからです。とりわけ89年のベルリンの壁崩壊の報道は私のなかで強烈な印象を残しました。
しかしいざ東外大に入ると、ドイツ語はすぐに挫折しました。クラスメイトの語学センスに驚き、「とてもかなわないな」と授業から足が遠のきました。そして、部活動の柔道や音楽、アルバイトばかり熱心になりました。しかし、授業にはまじめではありませんでしたが、読書はジャンルを問わず貪欲に挑みました。
海外勤務にあこがれて就職
卒業後は運輸関係の大企業になんとか入社することができました。その会社は世界中にネットワークをもち海外勤務が早くできそうだと期待しました。また、運輸は社会に不可欠な仕事だと思いました。しかし実際に入社すると多忙を極めるなかで自分のキャリアに迷う毎日でした。結局、会社は2年足らずで退職しました。いま思えば職場のみなさんにはお世話になりっぱなしのまま退職し、辛抱が足りなかったかもしれないという気持ちもあります。
母校とのつながり
その後、2000年に(財)仙台国際交流協 会(SIRA)に入職し、現在に至っています。SIRAでは、外国人住民をはじめとすることばや文化の異なる人々との地域での共生を目指したプログラムの企画・運営に携わっています。具体的には、外国人住民に向けた防災啓発、外国につながる子ども(外国にルーツをもつ子ども)の支援などを行っています。
2011年3月の東日本大震災では、外国人被災者等のために多言語で情報提供をする「仙台市災害多言語支援センター」の運営にあたりましたが、その際には東京外国語大学多言語・多文化教育研究センターに多大な支援をいただきました。多言語・多文化教育研究センターを介して、東外大同窓生や関係者に震災関連情報の翻訳でご協力をいただきました。母校との「つながり」をつくづく感じ、心強い限りでした。これからも地域の「多文化共生」にとりくんでいきたいと思っています。
----(略歴)-----
1998年ドイツ語科卒業。2000年(財)仙台国際交流協会(SIRA)に入職。2009年4月からの一年間は(財)自治体国際化協会(CLAIR)派遣。東京外国語大学多言語・多文化教育研究センターフェロー。(2012年6月現在)
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本人への連絡を希望される学生、同窓生の方は、東京外語会平成の会([email protected])宛にお問い合わせ下さい。
コメント
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