野崎正人
昭和46年(1971年)インドシナ語科卒業
1 はじめに
1071年にインドシナ語学科(ベトナム語専攻)を卒業し、警視庁に入庁、35年間勤務(うち、警察庁勤務が6年間)、2006年に退職、現在、新宿にあります「ハイアットリージェンシー東京」(ホテル)で総支配人付として勤務しております。1987年から3年間、フランスのリヨン市に本部を置く国際機関の「国際刑事警察機構」(INTERPOL)で勤務しました。
2 国際刑事警察機構(INTERPOL)とは
国際警察刑事機構は1956年に設立され、本部の所在地はフランスのリヨン市です。加盟国は188か国・地域(2010年12月末現在)で、その主な活動は、国際犯罪及び国際犯罪者に関する情報の収集と交換、犯罪対策のための国際会議の開催、逃亡犯罪人の所在発見と国際手配書の発行等です。
日本警察は1952年に加盟し、総会及びアジア地域会議の開催、アジア地域通信網の地域局の設置、事務総局への警察職員の派遣、国際的な捜査協力の実施等を行っております。事務総局は加盟各国から派遣された捜査官、現地フランスで採用された職員で構成されております。私が勤務していた当時、日本人は刑事局長、通信技官と私の3名しかおりませんでした。
3 Specialized Officerとしてスタート
私が赴任した当時、事務総局はパリ郊外の サンクルーにありました。日本から派遣されているからといって、特に日本関連の仕事をするわけではありません。事務総局の一員として、刑事局グループC(盗犯担当)に配属されました。仕事は高級自動車窃盗事件に関する情報交換が主なものでしたが、窃盗事件全般にわたり加盟国国家中央事務局(以下「NCB」という)との情報交換、NCBから要請のあった窃盗犯の犯罪歴の提供や盗犯関連の国際会議への出席などでした。(右は、当時のインターポールの事務総長(ケンダール氏、イギリス人)から私の離任に当たり記念の盾をいただいている写真です。)
フランス人警部と一緒の部屋でしたが、仕事に疲れ、ふと窓の外を見ると、眼下にパリ市内、遠くにモンマルトルの丘が見え、よい息抜きになるとともに、パリで仕事をしている実感を味わえました。
4 メッセージ・リサーチ・ビューロー(以下「MRB」という)のグループ長に昇進
勤務して1年半位したころ、MRBのグループ長のポストが空き、事務総局内での公募がありました。私はそのポストに応募し、MRBのグループ長に昇進しました。上司はアメリカ人、フランス人の部下が4名できました。
MRBはNCBから昼夜を問わず、無線電報などで送られてくる様々な要請や情報を迅速に処理しなければなりません。私は事務総局で一番最初にメッセージ等を見る立場になりましたが、迅速かつ的確なアクションを採ることを要求されました。
時には、NCBから「麻薬犯が〇〇便に乗って〇〇国に向かったので至急手配して欲しい。」というメッセージが入ってくるわけですから一瞬たりとも気を抜けませんでした。
5 世界総会への出席
各国持ち回りで毎年1回、世界総会が開催されます。私が勤務していた1987年はフランスのニースで、1988年はタイのバンコクで、1990年はフランスのリヨンで開催されました。私は日本の代表の一員として、それぞれの総会に出席、各種分科会にも出席しました。リヨンでの開催は新庁舎のお披露目も兼ねており、開会にあたりフランスのミッテラン大統領(当時)が出席、新庁舎の視察も行われました。日本からは警察庁の金澤長官(当時)が出席されました。最終日の会議終了後の懇親会は、新庁舎の開設を祝う各国代表団との交流、久しぶりに会う捜査官との旧交を温めるなど盛会でした。
6 事務総局へ派遣されている各国捜査官との交流
午後5時に事務総局での勤務が終わると「溜まり場」の飲み屋に三々五々集まり、交流したり、夫婦単位で家に呼んだり呼ばれたりという食事会、パーテイが盛んでした。
1組、2組のカップルを家に招く、あるいは招かれるということも多かったのですが、パリに勤務していた当時、7月14日のパリ祭の時は、前任者の時代からの伝統で、私が借りているマンションに40名位招き、パーテイを行いました。私が住んでいたマンションの部屋からエッフェル塔やセーヌ川が眼下に見え、打ち上げられた花火を見て楽しめるという絶好のロケーションにあったためです。
7 おわりに
警視庁入庁時から国際的に貢献できる仕事をしたいと希望しておりましたが、ICPO本部事務局で勤務する機会を与えられ、国際的に貢献できたものと自負しております。外語大の卒業生が警察の仕事に就くということはイメージしにくいかと思いますが、警視庁から在外公館で勤務したことがある者が既に200名を越えております。また、日本国内に目を向けると外国人犯罪が後を絶たない現状を見ると、語学を活かして活躍できる場が警察にもあるという認識のもと、今後、外語大生の中から国際捜査官として活躍してくれる方が出てくることを心から期待しております。
----(略歴)-----
北海道出身、北海道立小樽潮陵高校卒業。1971年、インドシナ語学科(ベトナム語)卒業、警視庁入庁。捜査第二課(知能犯捜査)、捜査第四課(暴力犯捜査)、機動捜査隊副隊長、刑事指導官、暴力団対策課管理官、警察庁に出向し国際刑事課、国際刑事警察機構へ派遣されるなど主に刑事畑で勤務、地域部理事官で退職、2006年からハイアットリージェンシー東京で総支配人付として勤務中。(2012年6月現在)
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本人への連絡を希望される学生、同窓生の方は、東京外語会平成の会([email protected])宛にお問い合わせ下さい。
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