柴田 健一
平成7年(1995年)スペイン語学科卒業
大学卒業後、日本生命へ
私は大学を卒業後、日本生命に入社しました。就職活動を始めた時は、日本生命という選択肢を全く考えたことはなかったのに、不思議なものです。海外関係の仕事をしたいと考えておりましたが、意外にも非常にドメスティックな会社にそのチャンスがあることを知りました。入社後は希望どおり、国際投資部という部署で外国株式・ファンドへの投資の仕事を担当しておりました。
退職して経営学を学びに留学
そのものは結構面白かったのですが、日本の大企業で会社員としてこの先何十年と同じ会社に勤務することに疑問を持つようになり、どこに行っても通用する力を付けたいと強く思うようになりました。それで3年間勤務した日本生命を退職し、ハーバード大学の経営大学院(HBS)に留学することにしました。
ビジネススクールで起業を考える
HBSでの2年間はとても楽しかったのですが、ビジネスの経験がない私でも経営者として堂々と意見することが求められる厳しい世界でもありました。2年間そんな環境に身を置くことで、入学する前には全く考えていなかったことですが、「起業する」という選択肢を視野に入れるようになりました。在学時にビジネスを興すプランを書いて、卒業後、知人とそのプランを持って投資家に回りをしました。何十社断られながらも、何とか2社から合わせて4億円の出資をして頂くことになりました。今から考えるとかなり無謀な試みだったと思います。無知というのは時に人を大胆にするものだと振り返って思います。
会社設立、経営の世界へ
金融業界からIT業界に転身したわけですが、業界の違いよりも、大企業のメンバーとして仕事をすることとベンチャー企業の経営者として仕事をすることの違いの方が大きかったです。そこは真剣勝負の世界で、毎日が大変ではありましたが、刺激に満ちていました。問題が起こったらそれらはすべて自分の力で解決しないといけません。他に誰も解決してくれません。会社に不満を言う事はできません。自分がそれを変える立場だからです。
分からないことだらけ、初めてのことだらけの毎日を無我夢中で過ごしている間に、会社も少しずつ大きくなり2008年に株式公開に漕ぎ着けました。公開企業になると、未公開企業の時とはまた経営の方法などが異なってきます。今でも毎日が課題の連続で、それらを克服していくことは大変ですが、一つひとつの課題を克服する過程で自分自身の成長を感じられた時にとても大きな満足感を得ることができます。
気がつくと卒業時には全く想像しなかった方向のキャリアになり、不思議なものですが、自分としては今のような仕事のスタイルの方が自分に向いていると思っています。
----(略歴)-----
平成7年(1995年)スペイン語学科卒業後、日本生命に入社。国際投資部にて外国株式などへの投資を担当したのち、退職し、1998年ハーバードビジネススクールに入学。経営学修士を取得後、短期間のベンチャーキャピタルでの勤務の後、2001年にインターネットサービスを行う(株)ベンチャーリパブリックを設立し、取締役副社長に就任。インターネット上で、商品の検索や比較などを行うサービスを提供している。現在は東京外語会の理事も務める(2010年~)。(2012年4月現在)
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