宮澤樹実子
平成10年(1998年)フランス語学科卒業
外国語なら東京外国語大学
中学生時代、群馬県の片田舎でフランス語ができるようになりたいと突如思い立ってしまい、同級生から「外国語なら東京外国語大学」と言われたことをきっかけに、たいした情報もないまま東外大入学のみを目指して受験しました。大学では、ボート部のマネージャーとして合宿所まで料理をしに時おり通っていた他は、勉強ばかりしていました。
なんとなく就職
就職については当時あまり深く考えておらず、服が好きだからという理由で1998年4月に小さなアパレル商社に入社しました。
外国語ができる社員がいなかったため、いろんな仕事を任され、経験を積めて楽しかったのですが、年齢と性別のみで給与が決まることや、「うちの女の子」などと呼ばれ続けることに違和感を覚えるようになりました。同時に学生時代から続けていたフランス語の字幕翻訳の仕事で最後に名前が出るようになり、将来の仕事について真剣に考えるようになりました。以後、1年くらいは毎週ジャパンタイムスの求人広告を見ては履歴書を送りまくるようになります。
危機感を感じ転職
そんな折、ヘッドハンターから憧れの某外資系企業で内々定をもらって喜んだのもつかの間、それが取り消され社内選考に切り替わった旨を知らされます。今にも会社に辞表を出す勢いであった私は非常に落胆し、とにかくどこかに履歴書を送ろうと、在外公館派遣員の募集に応募しOECD代表部で働くことになります。パリに到着したのは9.11の翌々日でした。フランスでの2年の契約期間後、日本に帰って再び仕事を探し始めたのですが、なかなか就職口はなく、派遣社員や短期の契約社員や翻訳や通訳の単発の仕事を経て、フランスのタバコメーカー、アルタディスの正社員として働き始めたのが2005年の8月でした。フランス人2人と私、計3人オフィスでした。
仏企業に入社したら英企業の社員に
2007年末までに他の社員が辞めてしまい、翌1月には会社がイギリスの同業他社に買収されたため、オフィスにひとり残された状態が3年以上続きました。途中、上司はフランス人からアメリカ人に代わり、社内公用語はフランス語から英語へと代わりました。同業ながら社風もかなり違いますが、ここでの仕事ももうすぐ7年になります。共に働く社員は国籍もオフィスもバラバラで、日々面白くもあり大変でもあり。そんな中で、最近は自分が日本人であること、自分の日本人らしさを強く自覚することが多くなりました。
----(略歴)-----
平成10年卒業後、アパレル商社に入社。平成13年より15年までパリのOECD代表部に在外公館派遣員として勤務。帰国後の平成17年に仏タバコメーカー、アルタディス日本代表事務所に入社。後に買収により英インペリアルタバコ社の社員となる。担当はマーケティング。平成20年より23年までは日本オフィスの代表を兼務。(2012年5月現在)
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