高田美穂
平成8年(1996年)英米語科卒業
外大時代
東京外大では国際法や経済学ゼミに所属し、模擬国連活動 などにも参加しつつ、国連について勉強しました。大学3年の時にジンバブエにてボランティアに参加し、途上国農村部での支援に関心を持つようになりました。卒業後、一度就職しましたが、やはり途上国支援や国際機関への夢は断ち切れず、アジア経済研究所開発スクールを経て、ケンブリッジ大学へ留学し、その後、外務省JPO制度を利用して、国連世界食糧計画(WFP)のタンザニア事務所へ赴任しました。
国連での経験
タンザニアでは、難民支援に関わりました。そこでみた難民の厳しい現実はつらいものがありました。家も財産も失って、身一つの状態で逃げてきた人々。もっともいたたまれなかったのが、紛争をさけて、逃げ惑ううちに、親とはぐれたり、家族がすべて殺されてしまい、たった一人で難民キャンプにたどり着いた子供の難民でした。そういうショッキングな現状をみて、紛争国の問題に関心を持つようになりました。
3年間のJPOとしての契約が終了後、赴任したのは、フセイン の独裁政権下にあったイラクでした。イラク戦争とフセイン政権の崩壊、そして戦後の混乱、狂気、暴力を目の当たりにして、紛争国における支援の難しさを痛感しました。国連の無力さや戦争を防ぐことの難しさ、市民が巻き込まれていくという現実を痛いほど味わいました。非常につらい経験でしたが、今、振り返ってみると、このイラクでの経験は今日の私の大きな糧となっています。
世界銀行へ
イラク経験後、紛争国支援により長期的に関わりたいというおもいから、世界銀行に関心がいくようになり、同行のヤングプロフェッショナル制度を利用して、ワシントンへ赴任し、現在、南アジア諸国、特にアフガニスタン、スリランカ、インドの農村開発プロジェクトを担当しています。
紛争後国への支援の重要さ
紛争直後は、国際メディアがしきりにとりあげるので、国際支援が滞ることはありませんが、一度熱がさめると、引き潮のように援助額が下がっていきます。問題山づみの政府の能力が強化されないままで、外からの支援がおわると、途端に、国内の開発はおくれ、結果、貧困層がまた増えて、政府への不満が爆発し、平和の期間が短いまま、また長い紛争状態に突入する例が多くあります。このような状態を防ぐためにも、紛争の収まる早い時期から、緊急援助から開発支援に乗り換え、草の根レベルでの能力強化と、支援が必要なのだと実感しています。
青森県青森市出身。96年度、東京外国語大学を卒業。アジア経済研究所開発スクールを経て、ケンブリッジ大学で農業経済学の修士号取得。卒業後、世界食糧計画(WFP)にてタンザニア、イラク、東ティモールの現場で6年間勤務。2005年に世界銀行入行。(2012年5月現在)
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