佐野 健一郎
平成22年(2010年)英語学科入学
(3年在学中)
英語を選択した理由
ごく幼いころから私の特技は、知らないひとであっても誰とでもすぐに 話せることでした。高校時代は、全然英語を話せないにも関わらずカナダ出身の先生と仲が良く、大学に入ってもいろいろな人とコミュニケーションが取れるようになりたいと思い、世界に通じる英語を迷わず選択しました。
ベンチャー企業でのインターン (1年次)
入学してからは塾講師のバイトをしていたのですが、1年の春休みに15人ほどのベンチャー企業にてインターンとして営業マンをやってみました。会社が運営するサイトの月額年間契約の広告枠を小売店に売る仕事でした。1日中ひたすらリストを作っては電話をかけまくり、約束が取れたお客さまのところへ資料を持って説明に行ったり、セミナーを開いたり、創業者である社長の隣で仕事をさせていただいたりと、社会人さながらの経験をさせていただきました。ところがそれと同時に、この仕事なら大学を出なくてもできるのではという疑問と、スタートアップ企業の商品の寿命の短さをも感じることもできました。広告枠は、とにかく人海戦術的にたくさん売ればいいだけで、さらに私が居た当時すでに業界では、ネットでの匿名性による情報の信頼性を揺らがすステルスマーケティングが問題視されていました。
外語祭のWEB投票(2年次)と東外大のiPhoneアプリ開発(3年次)
せっかくなら人と話すこととは少し違うことを勉強してみようと思い、2年生になってプログラミングを勉強しはじめました。腕試しに、営業の経験を活かして企業にアプローチしてサンプル品などをいただき、料理店の投票をWEBで行うシステムを外語祭で初めて主催しました。2年生が終わるころにはiPhoneアプリが作れるようになったので、外大の教室番号を押すと地図が出るアプリをApp Storeへ公開し、WEB上ではサークルを紹介する東京外大の情報サイトTUFSnaviを開設しました。
「渋谷が聖地」(高校時代)
高校時代は学校が終わると毎日のように渋谷で遊んでいました。当時は、金髪ロングヘアーで学ランを着ていたので、悪いことをしていなくても駅を降りるたびに職務質問を受けていました。男子校に通っていたので、女子校の学園祭などで声をかけて友達の輪をどんどん広げました。なかでもバンドを組んでいる人間は、渋谷や池袋のライブハウスを借りてイベントを毎月のように開催していたので、次第にそこでみんなが集まるようになりました。イベントが開催されるごとに友達が友達を呼び合い、私も渋谷の小さなクラブを借りて150人程度のイベントを開いてレコードを回したこともあります。
「外向き」の若者
そのとき出会った友人たちは、遊びに全力であったがゆえに 夢も語り合った中でした。医者や国際弁護士といった安定した考えを持つものもいましたが、投資や起業で大金持ちになってやると意気込むものをたくさんいました。メディアで「内向き」の若者が問題視されることもありますが、全員が消極的になっているなどあり得ません。むしろ、ホリエモンが表に出てきた頃、ちょうど高校生になるくらいの時期でした。既得権益層に対する反骨精神や「力」に対する強い憧れを抱いています。大学生のうちにだいぶゆっくりとした時間を過ごせたので、進む分野がIT関連でなくとも、社会に出たら競争や戦いの中へ身を投じられることを楽しみにしています。
---(略歴)-----
1990年生まれ、川崎出身。2009年開成高校卒業後、1年間代々木ゼミナールにて学ぶ。2010年東京外国語大学英語専攻入学。第3学年に在学中。ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校へ8月~6月まで派遣留学予定。(2012年5月現在)
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本人への連絡を希望される学生、同窓生の方は、東京外語会平成の会([email protected])宛にお問い合わせ下さい。
コメント
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