百瀬 ふみえ
平成2年(1990年)インド・パーキスターン語学科卒業
(ヒンディー語専攻)
大学卒業後ユニリーバへ
越境して入った岩手の県立高校から入学。専攻はヒンディー語です。
人々の生活の分かる日用品や食品の商売に興味があったこと、またアルバイト先のインド料理店で外国人に混じって仕事をすることに慣れてしまったことから、日本企業では勤まらない気がして外資系のユニリーバ・ジャパンに就職しました。バブル期でしたからすんなり内定頂きました。
東京での採用だったが研修後の配属は海外の本社レベルで買収が成立したばかりの別会社リプトン・ジャパンのマーケティング部へ。マーケティング部統合までの半年強を神戸で過ごしました。自分が選んで入ったユニリーバとは企業文化が違い戸惑いましたが、合併吸収というものを吸収する側・される側半々の立場で経験することができました。また、関西初体験だったので生活面でも発見は多かったです。
社内結婚で退職~外資系メーカーへ転職でステップアップ
入社3年で社内結婚し、ユニリーバを退社しました。退社への圧力は一切ありませんでしたが、夫と同じフロアで仕事するのが嫌だったので。たった一ヵ月の専業主婦業ですっかり辛くなり適性のないのを自覚して、半年程シンクタンクや外資系のアパレル等で派遣社員しながら就活し、アメリカのペットフード及び食品メーカーであるピュリナ・ジャパン株式会社のマーケティング部へ猫用缶詰担当のアシスタント・ブランド・マネジャーで再就職しました。
日本での歴史も長いリプトンやユニリーバとは違い、日本企業との提携を解消してわずか5年のピュリナ社で前例もあまりないところから仕事を作っていくのは大変勉強になりました。ユニリーバ時代は少なかった海外とのやり取りも毎日のようにアメリカ、タイのオフィスや工場とやり取りがありました。
心身共に限界へ
しかしわずか3カ月で直属の上司がヘッドハンティングされて辞めてしまい、3名いるはずのブランド担当者が(元々欠員があったので)私1人になってしまいました。その後半年間は、営業部、マーケティング部兼務で留守がちの役員と2人で何とか業務を回しました。20代半ばで大きな仕事を任せてもらって大変勉強になりましたが、手が回らず力も足らず失敗も多かったので、迷惑をかけて叱られる日々でした。家庭でも夫はともかく親類や友人達の間で「奥さん」としての自分の評判が下がっていくのがよく分かり当時はそれも気になってしまいました。
半年後に人員が補充された頃から、蓄積した疲労と精神的ストレスからか体調がかなり不安定になり始めました。仕事のミスも増え、存在するだけで辛くなり病院で診てもらうととりあえず自律神経の失調ということで安定剤をもらいました。(当時はうつ病の診断はなかなか出なかったのです。)
それでもキャリアから遠ざかるのが嫌でしばらく我慢して会社へ行き続けました。しかし、日が経つほどに1人で回していた頃のミスや不足が少しずつ発覚して説明を求められるということが増え、精神的な限界を感じて退社を決意しました。
今思えば1人で回していた当時に、本来自分のものではない仕事の責任の所在を明らかにし、整理して優先順位を付けて堂々と仕事をすべきでしたが、そういう知恵と能力がなかったので残念ながら潰されたような形で心身共に疲れ切って会社を去りました。どんな状況でもきちんと仕事を片付けていかないと後で痛い目を見るということを学びました。
整体の仕事ならできるかも…
こういった退社の経緯だったので、その後選んだ整体師の仕事は、「やりたい仕事」というより「こんなダメな私でもできるかもしれない仕事」でした。もう会社組織で働くのは無理だと思っていましたし、専業主婦はその前に一カ月でリタイヤしていたので、これしかできるものがないという認識で整体学校へ行き始めました。
再び派遣会社に登録し、ドイツの薬品メーカーの営業部の事務の仕事をしながら、終業後整体学校へ通いました。途中妊娠し、派遣の仕事も整体の勉強も2年程中断しましたが、再び同じ会社から仕事を頂き保育園に子供を預けて学校を卒業しました。
保育園の送り迎えをしながら開業へ
整体学校卒業後は、学校附属の整体院で職を得ました。生徒さんを指導しつつクライアントさんに整体の施術をする仕事です。その後、2001年に友人と現在のくるみ整体療術院を開業し現在12年目に入りました。
小さくてもお店の経営で、マーケティングの知識も、業者さんとの付き合い方等も、お金の管理の仕方も役に立ち、短い間ではありましたが為になる経験を得られたと考えております。顧客の皆さんのお話を伺う時も、多くのお仕事では大体の様子が察せられるので企業での経験は貴重です。
開業当初は子供が保育園へ通っており、家族だけではなく同僚や近所のお友達にも助けられながら何とか続けてきたお店ですが、現在は地域でも業界でもある程度存在を認めて頂いており、安定して商売にいそしむことができて嬉しく思っております。
----(略歴)--------------------------------------------------
平成2年(1990年)インド・パーキスターン語学科卒業後、ユニリーバに入社。研修後グループ企業のリプトンジャパンのマーケティング部へ出向。1991年部門統合でユニリーバに戻る。1993年退社後、社内結婚。派遣社員で勤めたのち1993年ピュリナジャパン、マーケティング部へ転職。キャットフードのマーケティング全般を担当。1995年退社。その後外資系企業で派遣社員をしながら整体学校へ。途中、出産・育児のため中断。1998年整体学校卒業後、東京療術学院附属の整体院で指導教員を勤めた後、2001年板橋区大山町にくるみ整体療術院を開業。女性二名で共同経営、現在12年目
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